5月1日は世界的にメーデーとして知られている。そして5月1日はUnited Kingdam of Great Britainの誕生した日でもある。
1707年5月1日に合同法が施行され、EnglandとScotlandは合併し、新しく連合王国が誕生した。一見対等合併のようだけど現実はScotlandが吸収されたと言ってもいい。両国の議会は廃止され、新しいUK議会で認められたScotlandの議席はEnglandより遙かに少ない。これではScotlandの主張は通るはずもない。Englandは念願のScotlandを手に入れた形となった。
その前兆となったのが1603年からScotlandの王、ジェームス6世(クィーンメアリーの長男)がEnglandの王を兼ねるようになり、その時に同盟が結ばれた。それ以来、本来Scotlandの王であるはずが、Scotlandの滞在期間が極端に短くなった。イングランドの宮廷生活に満足したジェームズは、その後Scotlandには1度しか帰ることがなかった。というのも田舎のScotlandよりもLondonの方が楽しいから帰りたくなかったというのが本音のようだ。
Lowlandの支配階級もEnglandの進んだ技術を取り入れたいとの思いから合併には賛成で反対したのはHighlandの人々だけだ。そしてジャコパイトの反乱が起こった。1745年のには王位継承者であるプリンスチャーリーを押し立てて一時はLondonに迫ったが1746年カロードンで敗れ、その反乱は終わった。
それ以来、Highlandに対する迫害が始まった。そしてウィスキーには重税が課せられた。製造に対してはもちろん、流通に対しても課税された。ウィスキーの販売をライセンス制にしてそのライセンスはHighlanderには与えられなかった。ScotlandからEnglandに持ち込まれるウィスキーには関税すら課せられた。Scotlandの中に線(Highland Line)を引き、その南北で税率を変え、Highlandに不利なように定められた。
Lowlandの蒸留所は何とか利益が出るように品質を無視して生産コストのかからない製造方法を研究した。Highlandの蒸留所は税金逃れのため、山奥に隠れて昔ながらのウィスキー造りを続けた。
その結果税金込みの高くてまずいLowlandのウィスキーは敬遠され、Highlandの密造ウィスキーが好まれた。人気の蒸留所は役人がすべて買い占めるので庶民には行き渡らないこともたびたび起こり、国王でさえも当時のGlenlivetが好きだったようだ。
1823年、UK政府はウィスキーの税金システムを見直し、製造に関してはライセンス制にして製造されたウィスキーに課税するように法律を改正した。1824年、Glen Livetが登録蒸留所第1号になったのを皮切りに続々と正式蒸留所がオープンした。重税を課していた法改正前より税収が増えたのは皮肉なものである。Highlanderのプライドの勝利とも言える。これによって近代ウィスキー産業は発展し、現在、英国の主要産業の1つとなっている。
そして今年、300周年を迎えた。1999年にScotlandの議会が復活し、4割を超える人々が独立に賛成している。しかし独立反対派はそれをわずかに上回り、両者とも過半数には達していない難しい問題とも言える。そんな中、Scotland議会の復活を承認したEdinburgh出身のブレア首相は来月、Downing Street 10番地を去る。
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